「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因 富士通・元半導体部門トップが直言(前編)
――そもそも半導体産業の黎明期に日本はなぜ勝てたのですか。
1940年代後半に半導体を発明したのはアメリカだ。1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。
たとえばクリーンルームという概念を生み出した。アメリカでは製造現場に靴で入っていたが、日本では清浄な環境で造らないと不良が出る、とクリーンルームを作った。半導体の基本特許はアメリカ発かもしれないが、LSI(大規模集積回路)にしたのも日本だ。私たちの先輩がゼロから切磋琢磨しながらやった。
市場がパソコン中心になって「安さ」優先に
もう1つ大事なことがある。マーケットがあったことだ。当時、日本の大手電機はみんなNTTファミリーで通信機器やコンピュータを造っていた。半導体は自社の通信機器やコンピュータの部門が大口顧客だった。自社のハードを強くするために強い半導体がいる。通信機器部門やコンピュータ部門にとって、自社で半導体部門を持つメリットがあった。
各社がよりよいコンピュータを作ろうと競い合った。自社の大口顧客に応えるために、半導体部門も開発に力を注いだ。半導体を利用する顧客が近くにいることでよいものができた。それを外に売れば十分に勝てた。1980年代から90年代の初頭まではね。
――そうした成功方程式はなぜ崩れたのでしょう。
マーケットが通信機器と大型コンピュータからパソコンに変わったからだ。当初は各社独自のパソコンだったが、IBMの標準機になった。半導体も同じものをいかに安く作るかの競争になった。
NTT仕様の自社の通信機器向け半導体は35年保証の世界。設計、プロセス、品質管理もその水準でやっていた。それをパソコン向けにも展開したが、必要とされたのは品質より安さだった。パソコンは数年もてばいい。
そこに出てきたのが韓国勢だ。当時、富士通の半導体の断面は神様が切ったようにきれいだったが、韓国メーカー製はガタガタ。でも動く。何より安かった。
――過剰品質の問題に気がつかなかったのですか。
当然認識していたから、同じ設備でもアウトプットを2倍にするような設計やプロセスを採用して(高品質製品と)ブランドを分ける議論を散々やった。だが、分けられなかった。同じラインで2つの違う製品を流してもコスト削減効果はあまりないからだ。むしろ、2重のコストがかかる。