「愛」と「感謝」で生きていこう-ココロの在り方(藤村 麻紀さんコラム-第10回)
こんにちは!藤村麻紀です。
ついに最終回を迎えました。こうやって連載をさせてもらえたこと、そしてそれをずっと応援してくれはった方たち、いつも励ましてくれた友人、あらゆることに心から感謝しています。私は本当に、本当に恵まれている。
私ね、伊勢神宮が大好きやのですよ。唐突ですが。うん、ちょっと引かれるくらい詳しいんやないかと思います(笑)。多分、伊勢マニアと言っても差し支えないんやないかなー、と思うほどです。はい。そして、年に2回は1泊2日で早朝から分刻みのスケジュールをこなす、かなりハードな参拝の旅に行きます(笑)。ほんまはもっと頻繁に行きたいんやけどね。そしてその伊勢熱は周りにも広がり、なんだか回を追うごとに参加人数が増えている気すらしています。
まぁ、それはともかく。
私が伊勢神宮(に限らず神社に参拝すること)を好きなのには、理由があります。もちろんすべての日本人の氏神様、とか、神社最高位の、とか、色々ありますが、伊勢ね、ご存知の方も多いことと思いますが、かなりの数のお宮に参拝するのですよ。そして基本的に、神社では「お願い事はしない」のがルールだそうです。特に外宮や内宮の正宮では、基本「お願い事」はしないです。あ、してもいい神社もあるそうですよ。するのは、「感謝の奉納」。つまり、参拝自体はそれこそ朝5時くらいから始まるんですが、まぁほぼ丸々2日間、それこそ一日中感謝しているのですよ。何に感謝するのかと言えば、「生かされていること」「生かして頂いていること」です。
世の中には目に見えるものと見えないものがあって、我々はつい目に見えるものばかりを信じてしまうことが多いのだけど、でもよく考えると本当に大切なことはすべて目に見えないものだったりします。目に見えないけれど、確実に存在するもの。音楽も目に見えないもののひとつだけれど、その中にあって、私が最も大切にしていること。それは、こうやって書くとなんだか照れ臭いけれど、「愛」と「感謝」だったりします。
最愛の人をがんで亡くす5日前、翌日から長期で家を空けるスケジュールが決定していた私には、彼に会うのはこれが最後になるのだろうということはわかっていたのです。「またね」と言ったけど、多分それはもうないと、本当は知っていました。何を言おうとしても、何も言葉にならなかった。ただ手を握り、二人で泣きながら、ひたすらに愛と感謝を伝え合うことしかできなかった。出会えて幸せで、一緒に過ごせて幸せで、とても愛していて、本当はもっと一緒にいたくて、もう一度手をつないで二人で歩きたくて、一緒に行こうとか、食べようとか、果たせていない約束ばかりで、伝えたいことはいくらでもあるのに、何も言えなかった。麻紀が笑って生きていることが自分の希望になるからと、出会えて幸せや、ありがとうと言う彼に、私はもはや言葉を持たなかった。
生かされているのだなと、思います。神さまとか、創造主とか、そんなのって正直よくわからないし、考古学だって「現段階での最古」なだけで、何か違うものが見つかればそれこそ「事実」「歴史」なんてすぐ書き換わるから、本当のルーツなんてわからない。宇宙は大きくて、実は地球なんて全体から見たら本当に辺境の超田舎の星らしいけど、そんな実感なんて一切ない。地球外生命体なんているに決まってると思ってるけど、よくわからない。それでもなんとなく、何か大いなるものに生かされ、護られているような気はしています。少なくとも私は健康で、好きなものを食べ、好きなところに住んで、好きな仕事をし、愛する友人や弟子や家族に恵まれている。それって実はすごいことなんだろうなと思うのです。朝目が覚めることも、文字が読めることも、音楽が聞こえるのも、自由に歩くことができるのも。本当は、こうやって何気なく過ごしている今日は、彼が望んで望んで、そしてついに手に入れることができなかった「明日」なんだなと、そう思うのです。だから「生きる」ということは、与えられた権利ではなく、ギフトなんだなと思うのです。
そう思ったら、本当にやりたいことのために自分の命を使わなければならないと、そんな風に思うわけです。それは本当にそう思うのです。なのに、なかなか動けない。
邪魔しているのは、「自分の頭の中の声」なのですよ。
「やめとけって、どうせ上手くいかないから!」
「失敗したらどうしよう」
「そんなことして恥ずかしいと思われるよ」
「もし上手くいかなかったらどうするん?」
私が感謝の参拝をするのは、ひたすらに感謝し続けることで、頭の中の声が静かになるからです。代わりに愛や感謝でいっぱいになるから。最近は「瞑想」とか「マインドフルネス」なんて言葉が一般にも浸透しているようですが(私はしないけど)、これって結局いかに自分の頭の中の声を黙らせるか、ということだと思うのです。座禅も写経も滝行も、もしかしたら同じような目的があるのかもしれない。少なくとも、そうやって頭の中の声が静かになると、「本当にしなければならないこと」をするための思考がクリアになっていくのです。
もしかしたら、期待した天気やなかったかもしれないですね。誰かに満員電車で足をふまれたり、思いがけず渋滞に巻き込まれたり、約束に待たされたり。お気に入りのネイルが欠けたり、つまらない仕事を押し付けられたり、理不尽な上司がサボっていたり。こんな風に、小さなイライラはいつでも身近にありますよね。そんなことにココロを持っていかれてしまうことって多いのです。でも実は、そんなことは本当に些細なことだったりする。
不安や恐怖や怒りに侵食されがちな頭の中を、いかに愛と感謝でいっぱいにするか。そうすると、本当にやりたいことや、自分の使命のようなものがわかってくるのですね。そして、人は誰でも、「することになっていること」があるのだと思っています。それは、「本当は、したいこと」。現代って、「生きるだけ」ならそれなりにできてしまうのです。朝起きて、どうやって生きていこうか、食料を確保しようかとか、そんなこと考える方はほぼいないと思うのですよ。だからこそ、自分自身が本当に「生きる」ということについて、考えることができるのではないかと感じています。
「これからはどうされるのですか?」と聞かれることが多いのですが、歌います。もちろん。歌うのは、私の魂が喜ぶこと。きっと、どれだけ年齢を重ねても、これだけは絶対にやめない。そして、教育。これも私のしたいこと。なんだか大げさに聞こえるかもしれないけど、「私だからできること」「私だから言えること」、それをずっと発信し続けていこうと考えています。どんなことがあっても大丈夫、あなたは、そのままで素晴らしいんだよということ。愛すること、感謝すること。命は、無限ではないのだということ。だからこそ、本当に好きなことを、自ら選んで「生きて」いくのだということ。
10回にわたりお送りしてきたこの連載ですが、本当にありがたいものでした。ひょんなことから頂いたお話しでしたが、私が伝えたかったこと、伝えなければいけないと思っていること、そんなことが少しでも伝わったらいいなと思いながら、そしてこれを読んでくれはる方が、少しでも気持ちが楽に、軽くなってくれたら、勇気づけられたらと思って書き続けました。世界を癒やすこと、そして勇気づけること。それは私が自分の人生をかけてやり続けること。
こうやって機会を頂けたこと、応援し続けてくださったすべての方に、心から、深く、愛と感謝を送ります。
本当に、ありがとうございました。
今回も、何かあなたのお役に立てたら嬉しいです。どこかのライブ会場で、きっとお目にかかりましょう。
あなたの人生が、素敵なものでありますように。
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藤村 麻紀(ふじむら まき)
ジャズシンガー
東京都生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、米国スタンフォード大学留学。2005年「WithLove」(梅田タワーレコードジャズ部門1位記録)でのメジャーデビュー以降、5枚のリーダーアルバム含む計9枚のCDをリリース。聴く者の心に深く語りかけるようなその歌は「ジャズボーカル界を変革する、異次元からのボーカリスト」と言われ、老若男女、さらに国籍を問わず幅広く支持されている。また、末期がん患者とその家族を対象にした病院へのボランティア活動等、社会への貢献活動も広く行っている。日本ゴスペル音楽協会認定指導員。元大阪芸術大学演奏学科ポピュラー音楽コース准教授。
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