「自分のキャリアはいったん横に」manebiのCHO平石さんが、16歳年下の社長と創業した理由 | 人事部から企業成長を応援するメディアHR NOTE

社長の右腕人材にフォーカスをあて、彼らが乗り越えてきた過去の体験やビジネススタンス、ボスマネジメントのアレコレなど、財産とも言えるノウハウをお伺いし、記事にまとめていく企画「社長の右腕」

今回は、株式会社manebiで取締役執行役員CHO(Chief Happiness Officer)を務めている平石さんにお話をお聞きしました。

平石さんは、大手総合商社にて、国内外の営業や事業の立ち上げ、ふとんクリーナーRaycopの日本支社長といったキャリアを歩んだ後、2013年に16歳年下の田島代表とmanebiを創業しています。

価値観や年齢が大きく異なる2人がなぜ創業に至ったのか。多数の困難を乗り越える際に平石さんが意識していた組織作りの哲学とは何か。

「社長の右腕」として活躍する平石さんの流儀について、詳しくご紹介します。

【人物紹介】平石鳳志さん|株式会社manebi 取締役執行役員 CHO(Chief Happiness Officer)

1970年生まれ、中央大学経済学部卒業。高校・大学ではアメリカンフットボール部主将を務め、社会人1年目に日本一を経験。大学卒業後、丸紅株式会社に入社。同社では、海外駐在を含め、営業畑を中心に約20年を過ごす。2011年12月に同社を退職。2012年1月よりふとんクリーナーRaycopの日本支社長として、日本市場立上げを実施。その後、複数の国内外企業の事業立上げに大きく携わり、2013年に田島社長と縁あって、manebiを創業。1日1生、熱狂人生を送るべく、幸福度の高い人々を増やす為に当社ミッションの「世界縁満」の実現に、情熱を注いでいる。人生の理念として、愛、感謝、素直、挑戦を置き、日々成長し続けている。

目次

「10年後、この決断が正しかったと思えるように」平石さんが周囲の反対を押し切ってmanebiを創業した理由

ーまずは、平石さんのこれまでのご経歴について教えてください。

平石さん:私は大学を卒業後、総合商社の丸紅に新卒入社し、台湾最大手のASUSで自社ブランドPCの立ち上げに携わったり、製品のプロジェクトマネージャーとして新規事業を立ち上げたりと、国内外の営業畑を中心に約20年のキャリアを重ねました。

そして、39歳の頃、「自分が80歳まで生きると考えたらもう人生の半分まで来たんだな」と立ち返る瞬間があり、丸紅を出て起業したいと思うようになりました。

有難いことに、当時の年収は1,000万円を超えており、入社してから自分が目標としていたものは手に入れることができたと感じていました。

しかし、唯一達成できていなかったのが「起業」だったんです。

ただ、まだまだ家庭にお金も掛かる時期で、奥さんには「あんたバカじゃないの」と反対されましたね(笑)。

私としても、何も収入が無いまま起業に突っ走るわけにはいかないと思っていたこともあり、ASUSの日本担当からRaycopを紹介してもらって、同社の日本事業立ち上げに携わることにしました。

この背景には、丸紅時代に海外メーカーの製品を日本国内で販路拡大していく経験を多く積んでいたので、Raycopでも成功できる強い自信を持っていたことがあります。

そして、Raycopの事業を中心としながら、これに加えて複数社とコンサルティング契約を結ぶ形で、少しずつ起業の道に向かって歩き出しました。

Raycopでは日本支社長という責任の大きなポジションをいただき、事業開発や営業などに幅広く携わらせていただきましたが、海外からITプロダクトを仕入れて、日本に拡散する面白さは長年の経験で十分に理解していましたし、今までの経験がダイレクトに活かせる仕事だったなと感じています。

ーそれでは、田島社長との最初の出会いはいつ頃だったのでしょうか。

平石さん:田島とは、私がRaycopの日本支社長を務めていた頃から、取引相手として関わるようになりました。存在自体はもっと前から知っていましたが、直接やり取りを開始したのはその頃ですね。

当時の田島は、Webマーケティング・Web制作の会社の代表を務めており、私がRaycopのホームページをリニューアルする際に、田島に発注をしたのがきっかけです。

その後、契約内容の関係で私がRaycopとの契約が打ち切りになることが決まり、契約終了後に自分がやりたいことを事業計画やビジネスモデルに落とし込んでいく中で、パッと頭に浮かんだのが田島の顔でした。

過去に「今後、何か仕事の話があれば田島さんにお願いしますね」といった話もしていたので、振り返ってみると、これが彼と今働いている大きなきっかけになっていると思います。

そして、早速話を持ちかけてみたら、その場で「これやります」と即答してくれて(笑)。嬉しいと思うと同時に、大変驚いたのをよく覚えています。

ーなぜ、田島社長に声を掛けようと思ったんですか。

平石さん:私が考えていた事業構想として「各個人が、自分らしく輝けることに係った事業をしたい」と考えていました。

現在のmanebiのビジョンは「自分らしく輝くためのプラットフォームをつくる」と掲げていますが、この「自分らしい」とか「 かっこいい大人」といったキーワードが、私と田島の中で共通するものだと感じています。

この根底の価値観が共通していると思っていたので声を掛けましたし、田島も即決してくれたのだと思っています。

ただ、当時の私はRaycopを辞めたものの、まだ複数事業のコンサルティングなどを通して日々の収入を得ている状態でした。

そのため、創業メンバーとして参画するものの、フルタイムで係ることができないので、「代表をお願いできる人」という視点で人を探し、彼が適任だと考えたのです。

ーでは、当初はmanebiの創業当初は、まだ別でも活動をされていたのですね。

平石さん:そうですね。この時期の私は、パソコンやスマートフォン、タブレットなどのデバイスを日本輸入し、事業展開(プロモーション、セールスルート確立、CS等)をおこなっていました。

正直なところ、Raycopの実績を見て、個人として仕事の依頼をいただく際は海外プロダクトを国内展開するといった案件が多かったですし、私としてもこの系統は最も得意ですから、いくらでも結果を出せる自信がありました。

しかし、このような案件は私一人の範囲内での仕事になってしまうため、この事業が約2年間で軌道に乗ったタイミングで一旦手を引こうとしたんです。

そして、それがちょうどmanebiがリリースしている派遣会社向けのe-learningシステム「派遣のミカタ」事業のドライブをかけるタイミングと重なり、この時の縁を大切にして田島の事業拡大により深く貢献したいと考えて、manebiにフルコミットする決断をしました。

「田島は“お母さん”と呼べるくらい支援してくれる存在です」心から信頼し合っている凸凹コンビの関係性

ー田島社長とは16歳という年齢差がありますが、平石さんと田島社長との関係性について、教えてください。

平石さん:「年下だから」と構えたことは特にありませんし、出会った時から彼との距離感は変わらず、1人の人間として正当に評価をしているつもりです。

田島は本当に勉強家ですし、仕事に対して常に努力をしている姿を見ています。田島のキャラクターの影響もあるかもしれないですが、「若いから仕方ない」というようなことは、これまでに一度も言ったことがありません。

「自分のキャリアはいったん横に」manebiのCHO平石さんが、16歳年下の社長と創業した理由 | 人事部から企業成長を応援するメディアHR NOTE

ただ、以前までは、「歳の離れたこの子を守らなきゃ」という感覚がどこかにありました。丸紅で20年近いキャリアを積んでもいるので、“先輩として守らなきゃいけない”という風に思っていたんです。

しかし、2年ほど前から田島への意識は変化し、一緒に働くただの同僚ではなく、「この人を目指そう」とベンチマークする相手になっています。

彼が結婚をして雰囲気がぐっと変わったことも影響しているかと思いますが、この数年で本当に「進化したな」と感じています。

また、彼は私に対して、常に「とことん一緒にやるよ」と意思表示をしてくれていて、絶対に裏切ることは無いと信頼しています。

正直私は、昔は自分に頑固な側面もありましたし、これまでに裏切られた経験もたくさんしてきているので、始めから全て心を開けたわけではありません。

しかし、彼は最初から「私はそんなふうに(裏切るようなひどいことは)しません」とはっきり意思表示してくれて、私に対して真摯に向き合ってくれました。

年齢差があることで周囲からは「平石さん、また騙されてないの?大丈夫?」と心配されることもありましたが、今となっては笑い話と思えるぐらい彼のことを信頼していますし、心から私の目指すべき存在となっています。

ただし、初対面の人から見ると、どうしても私が上長だと思われてしまいます(笑)。名刺交換をすると、皆さん真っ先に私に名刺を渡してきます。

また、彼がイケメンで爽やかなキャラクターなのに対して、私がこのような見た目なので、周囲からは「なんだこの会社は?」と変な目で見られていたこともあるかもしれません(笑)。

ー田島社長とコミュニケーションを取る際に意識していることはありますか?

平石さん:田島を相手にするときだけ意識しているわけではありませんが、年齢差のあるメンバーとのコミュニケーションでは「自分のキャリアや正しさはいったん横に置く」というスタンスを意識しています。

社内のメンバーは基本的に年下ですので、とにかく「自分が正しいんだ」とか「自分はこうやって成果を出した」といった経歴は横に置き、しっかりと目の前のメンバーと向き合うことを大事にしています。

正直なところ、昔は若くて実績の無い新入りメンバーに田島が「これどう思う?」と意見を求めたのを見て、「実績も経験もない人になぜ聞くのか?意味が無いじゃないか?」といったことを考えることもありました。

当時の私は、メンバーをやたら詰めまくるマネジメントをしていましたし、そのマネジメント方法しか知らなかったんです。しかも、そのやり方で成果が出ていたからこそ、なかなか変えられなかった。

しかし、このような激詰めを続けた結果、セールスやマーケティング、CSなど私が見ていた部署のメンバーはほとんど辞めてしまいました。

数年前には、直属の部下から「平石さんのやり方は理解できないし、何も聞いてくれないですよね」と、直接言われたこともあります。

今はマネジメント方法も変えて、離職率はゼロに近い状況となっていますが、自分が成果を出すために怒られながら育った経験だけをベースに他のメンバーと接してしまった点、自分の正しさを押し付けたせいで、多くの部下を離職に追い込んでしまった点は反省しています。

過去の失敗から学び、現在はキャリアが浅い若いメンバーに対して「その人たちの成功を支援する」というスタンスでかかわるようになりました。今は、「仏の平石」と言われています(笑)。

もちろん、田島に対しても、ものすごい感情的な長文のメッセージをSlackで送ったりと、ストレートにぶつかった経験は数多くあります。ただ、彼はいつも冷静に、理路整然と回答をくれました。

今は、1回呼吸して「こういう意図かな」と自分の中で考えるようになったので、このような失敗経験があったからこそ、自分も成長してこれたんだと考えています。

「メンバーとは血の通ったコミュニケーションを」平石さんが考えるmanebiの組織カルチャーの作り方

ー年齢が高くなるにつれて、特に40~50代の方は自分の価値観や考え方を変えることが難しいと思います。平石さんが、今のような考え方をできるようになったのは、なぜだと思いますか。

平石さん:「選択理論心理学」のリードマネジメントという考えを社内研修の1つとして取り入れ、参考にしたことが大きく影響していると思います。

manebiでは、人間関係の構築の仕方や、受容・傾聴の手法、異なる意見の相手との交渉の仕方など、全てのコミュニケーションをこのリードマネジメントでおこなうようにしています。

そして、「選択理論心理学」の反対側にあり、「相手を詰める」「落とす」といった考え方である「外的コントロール」は、明確に使わないことをルール化しています。

入社後のオンボーディングの中で、manebiのベースとなる考え方や、良好な人間関係の構築の仕方、manebi流のコミュニケーションから好成績を達成する方法などを丁寧に伝えていますし、また、1on1も継続しておこない、全社員にmanebi内でのコミュニケーションの正解や組織カルチャーが浸透するように心がけています。

「何でも言い合えるような関係性を構築してください」といったルールを作ったとしても、現実的に100%できる人はいません。しかし、そこに向かってチャレンジを続けていくこと、葛藤しながら努力を継続していくことが重要ではないかと思っています。

ー平石さんが組織を作っていく上で気を付けていることはありますか?

平石さん:常に物事の目的や、行動の意味・意義をしっかり言語化して、コミュニケーションを取るようにしています。

弊社で働くメンバーは、5大欲求の中の「楽しみの欲求」や「自由の欲求」が強い人が多く、楽しむことや自由な働き方を活かして仕事をすると、自然とミッション・ビジョンのために、みんな一生懸命に働いてくれます。

その一方で、楽しみや自由の欲求が強いからこそ、まとまりがない印象を受けることも事実です。

我々の掲げているバリューもまだまだ体現できていませんので、こういったバリューからメンバーにもっと浸透させていくために、これから取り掛かっていきたいと考えています。

「良好な人間関係と高い業績の両立を目指して」CHOとして実現していきたいこと

ーこれからのmanebiの成長に向けて、どのようなことに取り組んでいきたいと考えていますか。

平石さん:私は、2021年4月から、CBOではなくCHO(Chief Happiness Officer)となり、現在は社員一人一人がより自分らしく輝けるような組織作りをおこなっています。

これまでは事業開発やセールス、マーケティングなどの「得意なこと」を伸ばしてきましたが、今は自分一人で売る力を高めるよりも、人の力を借りて組織を動かしながら成果を出す、という経験が必要だと考えています。

manebiは2023年に上場を目指しており、 メンバーも、50名体制から100名体制へと拡大期に差しかかっています。

どんなに人数が増えても、血を通わせた家族のような付き合いができるようにしっかり整えていきたいと思います。

まだCHOと併せて得意分野の事業立ち上げについても兼務しているので、こちらも同時に手がけながら、より幸福度の高い会社を作っていきたいです。

ーこれからmanebiが組織として成長するためのポイントは、どこにあるでしょうか。

平石さん:これまで以上に、ミッションやバリューを社内に浸透させていくことが大事だと考えています。上場を経験した人の話を聞くと、皆さん口をそろえてミッションやバリュー浸透の重要性を説いていました。

また、良好な人間関係を構築しながら、いかに業績をあげていけるかもポイントになるでしょう。

ミッションやバリューの浸透を進めることで、より良い人間関係を構築したいと考えていますが、この良好な人間関係と高い業績を両立することは、とても難しいテーマです。

相手を脅したり詰めたりする外的コントロールを使えば成果がすぐに出ることもわかっていますが、長続きしません。

時間は掛かりますが、コーチング手法のように「あなたはどうしたい?」と問いかけ、相手の能力を引き出す手法でチャレンジしていきたいと思います。

また、幹部陣はとくに、「相談してもらえる幹部」にならなくてはいけないと思っています。

今までは、本人の許可なく「あいつがこんな相談してきたよ」と取締役会などで話すこともありましたが、「平石さんには話せるけど他の人には知られたくない」といった相談だった場合に、「平石さんに話したら、全部筒抜けになってしまう」といった不安が生まれていると、心を開いて相談してもらえなくなってしまいます。

相談内容によっては、別担当に話を共有しなければならないシーンも多々ありますが、その都度、「あの人にも、今の話を共有していい?」と許可をとる作業が必要になりますよね。結局、全幹部陣がメンバーから腹を割って相談してもらえる人格でない限り、課題は解決できないということです。

まだ改善途中で、本音のコミュニケーションは完璧にできていませんが、真の意味での良好な人間関係を築くために、引き続き取り組んでいきます。

ー最後に読者に向けてメッセージをいただけますか。

平石さん:特に、私と同世代の40代~50代でもがいている皆さんに向けて、「過去の実績にいつまでもこだわらず、今目の前で手を動かしている若い世代を応援することが大事ではないか」と伝えたいです。

役職定年を迎えて給料がガクッと下がることを目の当たりにしたとき、また会社の看板がなくなったときに、過去の実績にしがみついた状態で偉ぶっているおじさん達を見ても、 今の若い人達に良い印象や影響を与えることはできません。

歳を重ねてから変化するのは難しいですが、「自分の正しさ」を一度手放すことで、目の前の若い世代に向き合ってみてはいかがでしょうか。

また、私は人生の哲学として「愛、感謝、挑戦、素直」という4つを土台として持ち、この上に「縁ある人を幸せにし、物心共に豊かになる」という理念を掲げて生きています。

今一緒に働くメンバーは、私にとって「縁がある人」ですので、その縁ある人々に幸せになってもらえるよう、一生懸命取り組んでいきたいと考えています。

専務や副社長といった肩書きは置かず、manebiという“生き物”のビジョンを社会に浸透させていくために、チームとして進んでいきたいと思っています。

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