黒人俳優の先駆者シドニー・ポワチエさん死去 享年94
シドニー・ポワチエさん
黒人俳優として初めて米アカデミー賞の主演男優賞を受賞するなど、米映画界における人種の壁を突き崩した先駆者として尊敬を集めた名優シドニー・ポワチエさんが1月7日(現地時間)、カリブ海の島国バハマで死去した。94歳だった。バラエティほか複数の米メディアが一斉に報じている。 ポワチエさんは、バハマ出身の農民だった両親のもと、1927年に米フロリダ・マイアミで生まれた。少年期をバハマで過ごしたのちアメリカに移住。米陸軍での兵役を経てニューヨークに戻ってからは、様々な仕事で生計を立てながら演技の勉強を始め、46年にブロードウェイの舞台で俳優としてのキャリアをスタートさせた。50年に「復讐鬼」で映画デビュー。「暴力教室」(55)で注目を集めたのち、「手錠のままの脱獄」(58)で黒人俳優として初めてアカデミー賞主演男優賞にノミネートを果たした。63年の「野のユリ」では、白人修道女たちを手伝い、砂漠に礼拝所を建てるべく奮闘する季節労働者の青年を演じ、黒人俳優として史上初となるアカデミー賞主演男優賞を受賞した。 67年には「いつも心に太陽を」、アカデミー賞作品賞に輝いた「夜の大捜査線」、同賞作品賞ノミネートの「招かれざる客」と3本のヒット映画に立て続けに主演。同年の米ボックスオフィスにおいてもっとも稼いだ俳優となると同時に、その人気を不動のものとした。 俳優としての活動を続ける一方、1972年の西部劇「ブラック・ライダー」を皮切りに、「スター・クレイジー」(80)、「ハンキー・パンキー」(82)、「ゴースト・パパ」(90)など、幅広いジャンルの作品でメガホンをとり、監督としても活躍した。 アフリカ系俳優の地位向上をはじめとする映画界への貢献が称えられ、92年に黒人俳優として初となるアメリカ映画協会(AFI)生涯功労賞、2000年に全米映画俳優組合賞(SAG賞)の功労賞、02年に米アカデミー賞の名誉賞、16年に英国アカデミー(BAFTA)賞生涯功労賞を受賞しているほか、1974年にはエリザベス英国女王から大英帝国勲章を、2009年には当時の米大統領バラク・オバマ氏から、米民間人に与えられる最高位の勲章である大統領自由勲章を授与されている。 訃報を受け、オバマ元米大統領は「唯一無二の才能を持つポワチエ氏は、革新的な役柄の数々を通じて威厳と品格を体現し、人々を結びつけるという映画独自の力を示してくれたとともに、数多くの後続の俳優たちに扉を開いた」とTwitterに投稿している。 デンゼル・ワシントンは、「彼を友人と呼ぶことができたのは、自分にとってかけがえなく光栄なことでした。長年閉ざされていた扉を、私たちのために開いてくれた心優しき友よ、安らかに眠れ」とコメント。モーガン・フリーマンは「彼は私にとって最大のインスピレーションであり、道を灯してくれる光だった」、ウーピー・ゴールドバーグは「星をつかむ術を教えてくれた」と、それぞれのソーシャルメディアを通じて追悼のコメントを寄せている。