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  • Jakucho Setouchi wanted to tell the last, think "I'm the one"

    Setouchi Jakucho died on November 9, 2021 at the age of 99.The last dialogue with Maho Seo, a 66 -year -old secretary, who was held three months ago, was held three months ago.Manaho -san, who had been snuggling for eight years, was angry at Jakucho for the first time, when he said, "I am anyway."The reasons why Jakucho, who rarely get angry, shouted, "I don't need such a thing here," was an important message from Jakucho to "people who live now."

    Narrator: Jakucho Setouchi, Listle: Mano Seo

    Narrator: Jakucho Setouchi, Listle: Mano Seo

    Setouchi Jakucho Born in Tokushima Prefecture in 1922. She graduated from Tokyo Women's University. 1956 Shincho Doujin Magazine Award for "Ai Ai Rei, a female college student." In 1961, he won the Toshiko Tamura Award for Toshiko Tamura and the Women's Literature Award for 1963 at the end of the summer. In 1973, he became a benefit at Hiraizumi Chusonji and became a law name. In 1992, he was awarded the Junichiro Tanizaki Prize in "Hana no Kai", the Minister of Education, Culture, Culture, Culture, Science and Technology in 1996, and the Izumi Kagamika Literature Award for 2011. 1998 "Genji Monogatari" Completed a modern translation. In 2006, he received the Order of Culture. In 2018, the Tachiko Hoshino Prize was awarded in "One" in Hyogo Prefecture in Hyogo Prefecture in 1988. Graduated from Kyoto University of Foreign Studies English and American Language Department. At the same time as graduation, I got a job at Jaman. In March 2013, the senior staff who worked for many years retired, and the days of struggle began as a secretary of Setouchi Jakucho. In June 2017, the "Manho no Jan -An Diary" (Kyodo News) started serialized. It is published in more than 15 local newspapers. The essay "Ominni 100 -year -old! Jakucho -san" (Kobunsha) published in November of the same year will be the bestseller. He is also a director of the "Wakakusa Project" that supports young women and girls with difficulties.

    <目次>
    1. 「私なんか」ではなく「私こそは」と思って生きなさい
    2. 「当たり前」なことなど、この世に一つもない
    3. 小さなことで満足できる人は幸せです
    4. 本当に好きなことであれば、長く続けられます
    ※本記事は『今を生きるあなたへ』を再構成したものです。瀬尾まなほさん(以下、まなほさん):これまで先生にはいろいろなことを言われましたが、初めて怒られたのは、何かのときに私が「どうせ私なんか……」と言ったときです。あのとき先生は、ものすごく怒りましたね。瀬戸内寂聴さん(以下、寂聴さん):あなたは以前、何か話しているとすぐに「私なんか」と言っていました。何かというと、「私なんか」、「私なんか」……。まなほさん:「私なんかなんて言葉は使うな。そんなことを言う人はここにはいらない」と、ひどく怒鳴られました。先生はめったに怒らないのに、あのときはどうしてあんなに怒ったのですか?寂聴さん:まず、その言葉は、あなたを産み、育ててくれた親に対して、とても失礼なことだからです。あなたは普通のレベルよりはちょっと上の美人だし、才能もあると思います。それなのに「どうせ私なんか」と言うのは、逆に思い上がっているのだと思います。あなたを産み、育ててくれた親はもちろん、そうした器量や才能を与えてくれた大いなるものに感謝しなくてはいけません。 人間はどんな人であれ、生まれて来る値打ちがあるから生まれてきます。自分という人間は、この世に一人しかいません。そのたった一人の自分を認めてあげないで、「どうせ私なんか」などと自分を否定したり、卑下したりするのは、自分をバカにしていることだし、自分に対して失礼なことです。まなほさん:それは、自分を粗末にしているということですか?寂聴さん:そうです。粗末にする前に、自分をバカにしています。親は、それぞれにすばらしいものを与えてくれています。それに気がつかないのは、その人がバカなのか、努力をしていないからです。「私なんか」とは、誰であれ言ってはいけません。せっかく生まれてきたのですから、その命を大切にすることです。だから「私なんか」ではなく、「私こそは」と思って生きていくべきです。まなほさん:「私なんか」という言葉の根底にあるのは、つい自分と他人とを比べてしまうことです。それで、「この人はできるのに、どうして私にはできないのだろう」とか、「この人はモテるのに、私はまったくモテない」とか、そう思って自分に自信が持てなくなります。そんなときに、「どうせ私なんか」と思ったり、「私は生きていても意味がない」と思ってしまったりします。寂聴さん:ここに相談に来る人の中にも、そういう人がたくさんいますが、それは一番つまらないことです。まず、親が生んでくれただけでも「有り難い」こと、もったいないことだと感謝しなくてはいけません。なぜなら、もし親があなたを産もうと思っても、何かの力が働いて産まれてこなかったことも考えられます。ですから、あなたがここにこうして存在しているということだけでも、本当は簡単なことではないのです。まなほさん:「有り難い」というのは、つまり「当たり前ではない」ということですか?寂聴さん:その通りです。ほとんどの人は、自分が生まれて、ここにいることが当たり前だと思っています。見たり、聞いたり、食べたり、歩いたりすることが当たり前だと思っています。でも、それは当たり前のことではありません。それだけでも、非常に恵まれたことです。ですから、まずはそのことに感謝をしなくてはいけません。この世に当たり前のことなど一つもなく、すべては有り難いことなのです。信仰などというものも、そうした有り難いことに対する感謝の気持ちから生まれてきたのだと思います。まなほさん:今、こうして生活していることが当たり前、家族がいることが当たり前、そう思うのではなく、すべては有り難いことなのだから感謝をして生きなさいということですね。寂聴さん:その通りですが、これが簡単にできそうでいて、なかなか難しいことです。それができたら、もう神様か仏様のような存在でしょう。まなほさん:けれども、今の自分の状況に不満があったり、何かイヤだと思うことがあったりしても、よくよく考えれば帰る家があって、迎えてくれる家族がいて、食べられるものがあって、それなりに健康でと、幸せなことがいっぱいあります。ですから、時々はそういうことを思い返して、感謝することができればすてきだと思います。寂聴さん:それはそうです。だから仏教にしろ、キリスト教にしろ、神様や仏様を拝むときには、そのことに感謝をするのです。まなほさん:でも先生は、毎日〆切に追われ執筆ばかりして、お経もあげず、決して熱心なお坊さんだとは言えないと思うのですが、こういうときにはいかにもまじめな尼さんのようなことを言いますね。私、それを聞いていて、時々笑いそうになることがあります。寂聴さん:こう見えても、私はちゃんと修行をしましたよ。あなたはしていないじゃありませんか。まなほさん:もちろん、私はしていません。でも、たしかに拝む対象があるだけで、ものごとに感謝する気持ちにもなれると思います。寂聴さん:それが信仰心の源になります。「宗教などなくてもいい」と言う人がいますが、宗教があるおかげで人やものごとに感謝する気持ちも生まれるし、苦しみから立ち直れる人もいます。信仰心を持つかどうかは人それぞれでしょうが、私はあったほうがいいと思っています。まなほさん:信仰心、ですか……。若い人でしっかりとした信仰心を持っている人は少ないと思いますが、でも何か困ったときには神社に行って神頼みしたりすることがありますから、それも信仰心の一種かもしれません。「日本人は無宗教だ」とよく言われますが、先生はどう思いますか?寂聴さん:やはり、無宗教でしょうね。あちこちに神社などがいっぱいありますが、そこへ行って十円か二十円のお賽銭をあげて、「あれをしてくれ」、「これをしてくれ」と勝手なことばかりお願いして、よく言うなと思います。 本当の宗教心というものは、必ずしも神社やお寺に行かなくてもいいのです。神様や仏様は、あなたのすぐまわりにいます。ですから、その場で手を合わせて、心の中で祈ったら、それで神様や仏様に思いは通じます。でも、人間は弱い存在ですから、何もないと手を合わせられなくて、神様や仏様の像を作って、それに手を合わせたり拝んだりするのです。【次ページ】小さなことで満足できる人は幸せです

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